1977年パリ(ロシアからの人)

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ロシアから来た人(1977年in パリ)

彼はロシアの大学で機械工学を勉強する留学生。フランス語、英語、ロシア語、母語(?)を話す語学の堪能な学生であった。彼とはパリのユースで知り合う。

彼の話しでは当時のロシアはこんなだった・・・
・パンティーストッキングは数千円
・自由圏の音楽が聞けない。わずかにvoice of Americaが聞ける程度で、あとはロシアの音楽だけ。
 留学生にとっての楽しみと言えば、パーティーを開いて他の留学生と話したりする事くらい。もちろ 
 ん、ソール音楽に合わせてディスコを踊るなどはご法度だ。
・ジーンズも流行っていて若者は着たがっているが、これを手に入れることは至難の技。ドルショップで しか手に入れることができないく、しかも外国人のみに販売。ジーンズをどうしても欲しいロシアの若 者は、外国人の友達に闇で手に入れたドルを渡し買ってもらう。苦労して手に入れたジーンズだが、物 はひどい。
 (当時、ロシアにいた日本人の話しでは、ロジア人が旅行者などにジーンズを売ってくれと近寄ってき  て、 それを闇で売るらしい)。

 
 

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