第1回 異文化共生住宅・・・ゲストハウスとは

最初にゲストハウスを知ったのは、1974、年大学2年の夏(1970年代はヒッピーカルチャー、学生運動全盛の時代)だった。自由で可能性に溢れるアメリカからスタートする旅を書いた『何でも見てやろう』(小田実著)に感化され、1人で始めたアメリカ旅行の途中、ラスベガスで出会った日本人旅行者から教えてもらったのがきっかけである。

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その施設はロサンゼルス近郊にあり、カトリック教系でコルピング協会というボランティア団体が運営していた。「コルピングハウス」という名のそのゲストハウスは、一見古そうだが3階建の洒落た感じの洋館。エントランスを入ると広々としたリビングがあり、ピロティーには卓球台なども置いてあった。

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料金はシングルルーム2食付で1週間$35(当時のレート$1=300円)、各室の広さは8畳程度、ベッド、机が設置されており、カバン1つの旅行者でもまったく支障なく生活できる。トイレ、シャワーは共同だが、さすが大国アメリカ、小柄な日本人など落ちてしまいそうなくらい大きなトイレ、そして強烈な水圧のシャワーが完備されていた。

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居住者は60人程とそれほど多くはなかったが、その構成はバラエティーに富み、アメリカ人(単身高齢者が多かった)はもちろん、ヒスパニック系(中南米からの移住者)の労働者、バックパッカー(カバン1つで安く旅する人)、そして日本人留学生など多種多様。そこでは、言葉も国籍も、居住目的も、そして年齢も親子ほど違う、そんな人達が和気あいあいと生活を共にしている。なんとも不思議な居住空間だった。

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ロビーを見渡すと、日本人の若者が英字新聞を見ながらアメリカ人と話をしている。まるで英会話のレッスンを受けているように見えた。リビングにはビバリーヒルズでガーディナー(庭師)をしているメキシコ人達とビリヤードに興じている日本人留学生がいる。物騒な大都会での単身生活に危険を感じ、ここの共同生活を選んだ人達もいる。彼らは一緒に買い物に、遊びにと、家族のようだ。

このゲストハウスには、知らない土地で弱者が生活する上での知恵がたくさん詰まっていた。このコルピングハウスが、我が社が25年後に運営することになるゲストハウスのルーツになるとは、この時は思いもしなかったのだが。

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