ボランティアが見た孤立する高齢者(いわき市)

ボランティアが見た孤立する高齢者(いわき市)
避難所より酷い在宅避難
 
  在宅避難高齢者の見周りボランティアが見た現実はあまりに厳しく過酷なものだった。
  いわき市社会福祉協議会がボランティア募集を始めたのを知って、それまで避難所生活を送っていた(仮)田中が自分にもできることがあるのではと、ボランティア活動に応募した。
いわき市では取り残された高齢者が多数発生した。統計によればいわき市には高齢単身世帯が10,717あり、その多くの人が被災し避難、もしくは在宅避難を強いられている。その中にはヘルパーなどの介護を受けていた人も多いたはずだ。その人達は自分一人では歩くこともままならない人達で、避難所にさえ行くことのできない人達なのだ。
「孤族高齢者は取り残された」
地震、津波、原発、そして風評と4つの被害を受けたいわき市。県外で心配する親戚縁者、友人の「危ないから避難して」という声に押されて県外に脱出した人は多い。脱出したくてもガソリンが手に入なかった者、県外に身寄りのない者、津波で家も家財も失い移動するお金がない者は居残り組だ。
身軽に動ける若者も殆どいない。取り残されたのは身寄りもなく、ガソリンも車もない高齢者たち。 避難所に行くこともできなく在宅避難している高齢者たちなのだ。
田中はボランティアセンターからその人達の安否確認とパンと水の配給を任された。そして現場で目にしたものは信じかたい光景だった。
「このままでは飢え死にしてしまう」
  家に入るとすぐ異臭が鼻をついた。トイレに行けなく排泄物を新聞に包んでゴミとして放置。浴槽には水も無く、「3・11大地震」以来風呂には入っていないという。自力では風呂には入れない介護を必要とする80過ぎの老女がそこにいた。
  ヘルパーはどうしたのかと尋ねてみると、あの日から来ていないという。来てくれたのは民生委員の人だけで、安否確認で来てくれたそうだ。身の回りの物から想像すると生活保護を受けている人らしく民生委員が来てくれたのはそのためかもしれない。
 地震で散らかったままの家を片付け、お風呂に水を張り、センターから1人1日分として支給されたパン1ケとミネラルウォーター1本(小)を老女に手渡した。老女は田中に「ありがとうございます」と涙を流しながらお礼を言った。 震災から13日目の出来事だ。地震があったあの日からこの老女は残っていた食べ物と飲み物で食いつないできたのだ。
昨日まで避難所にいた田中は今まで避難所の悲惨な状況を私に訴えていた。今日見た光景は避難所の比ではなく、「姨捨山と言ったら解りやすいでしょう」と興奮した口調で連絡してきた。これはたまたまの話ではない。田中はこの日数件家を訪ねている。どこの家も悲惨な状況に差はなかったという。
  私は田中から連絡をもらうまで避難所にいる人達が一番厳しい生活を強いられていると思っていた。ところが彼から話を聞いて一番厳しい状況にあるのは避難所にも行けない自宅で助けが来るのをじっと待っている孤立した在宅高齢者なのだと分かった。
  電話が繋がったのもつい数日前。どこに助けを求めたらいいのかも分からない。親戚縁者、近所の人たちも逃げ出して、もう近くには誰もいない。地震、原発を恐れ、外を歩いている人もいない。この場所は原子力発電所から50キロも離れているというのに。 これが風評被害。
年寄りはじっと耐えることには慣れている。愚痴は言うまいと決めているのかもしれない。民生委員の数も半減。やはり県外に避難してしまったのだ。残された民生委員と僅かなボランティアで凄い数の孤立高齢者を見回らなければいけない(2011.3.24現在)。
早急の対応が求められる。
 
                                     文責  イチイ 荻野政男
  

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