『いわき市』現地入り コミュニティーの重要性

『いわき市』現地入り(3月27日)・・・コミュニティーの重要性
 震災ボランティアをしている田中からは“行き渡らない物資”と“孤立する高齢者”の問題が一向に改善されないとの電話が毎日入ってきた「自分達にも何かできることがあるのでは・・・」と現地に行くことを決めた。
 出発の前日、被災地に再度連絡を取ってみる。驚いたことに、一軒家で5家族28人の避難生活をしている人たちがいることを知った。津波で家を失った者や地震で家を失った者が、避難所ではなく知人の家で身を寄せ合って生活している。
確かに、避難所生活はプライバシーもなければ暖も取れない。避難所によっては100名以上の避難者がいてもトーブが1台しかない所もある(灯油が手に入らないのが理由)。また、いつ別の場所に移されるか分からないのも不安だ。その点、知り合い同士なら安心だ。
「明日の食糧がない」・・・・
だが、そこには大きな問題があった。それは食べ物と水だ。28人という大所帯では、多少の蓄えではすぐ底をつく。水道は断水状態で復旧の目途も立っていない。毎日給水場まで足を運ぶ状態だ。そして出発前に入って電話は「明日の食糧がない」。
 車を予定の1台から2台に変更し、食糧、水など生活物資を積めるだけ積み込み一路“いわき”を目指して27日早朝出発した。常磐道は『いわき中央インター』まですでに開通しており、東京からわずか2時間程度で行くことができる。そんな近距離なのにガソリン不足と原発の風評で物流がストップし“陸の孤島”となってしまったのだ。

 

「ありがとう!!」
インターを降り30分ほどで避難生活者の家にたどり着いた。そこは高台にある閑静な住宅地で、避難者たちの建物には目立った損傷は無いよう見えた。途中の傾斜地に立つ建物が大きく傾いていた。市街地(平)も行って見たが、やはり被害に遭った建物は老朽化した木造住宅や地盤が悪い所に建つ建物だった。
 
早速、持ってきた物資を手渡し避難生活について聞いてみた。隣近所18軒のうち13軒が避難、いまでは何も情報が入ってこないと嘆いていた。
 
 
 
「震災後16日目でも物資が手に入らない謎」
 
 車(高速道路利用)で2時間程度の場所が、震災から16日も経っているというのに物資もなく未だマヒ状態とは…。私はその足で市役所そして防災対策本部を訪ねた。未曾有の大災害で行政機関はもちろん医療機関も職員、医師、看護師、ヘルパーなど県外に避難した人が出て機能不全の状態が続いていた。
物資が孤立した人たちに届かない分け・・・
なんといっても一番の理由はガソリンが手に入らないこと。スーパー、コンビニが再開し商品が並び出してもそこまで行くガソリンない。前日から並んでようやく買えるガソリンは僅か。10時間並んでも買えないこともあった。
2番目は地域の世話役である民生委員で避難者になった人も多数出たため、連絡役を失い取り残された孤立者が現れた。また民生委員には高齢者が多く体力的にも不十分で、尚且つ交通手段が自転車や徒歩といった人も多い。とても宅配業者のように物を届けるなどは期待しようもない。
3番目に挙げたいのは地域コミュニティーのために奉仕してくれている班長、副班長もやはり高齢者が多いということ。やはり避難者になった人も多数あり。結果、その地区には民生委員や行政からの情報が届かなくなり、孤立したエリアとなった。
最後に挙げたいのは行政の責任転嫁。復旧活動のため大変な思いをしていることは理解しながらも「孤立した人達に物資が届かない」という訴えに対する行政担当者の回答は“責任転嫁”“指示系統の悪さ”と感じた。
行政の対応に問題ありと言ったせいだろうか、いわき市から戻った翌日、現地で真剣に話を聞いてくれた福祉担当の市議会議員から「在宅待機している人に食料や水が行き渡るよう“東京の赤帽”に配達業務を依頼した」と連絡がきた。

 

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