がんばっぺ福島 がんばっぺいわき

「がんばっぺ福島 がんばっぺいわき」
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震災からちょうど2ヶ月後の511日、私は同級生のK君の店を訪ねるため、ようやく開通した特急ひたちに乗り“いわき”に向かった。その店(M屋)はいわき駅からほど近く、平商店街の真ん中にあり“いわき”では名の知れた老舗の百貨店である。高校卒業後に一度同窓会で会っただけで、ほぼ40年ぶりの再会である。
 
なぜ40年ぶりの再会に至ったか、そのきっかけを作ってくれたのはツイッター(短文投稿、つぶやき)だった。いわきの人が発信する生の情報を掴むため私はツイッターを利用していたのだが、その中にM屋の名前を見つけ被災者救済のためにがんばっていることを知った。食料品、水、衛生商品、身の回り品などの支援物資を店内で配布し、店に来られない人には配達もしていた。そしてホームページにはこんなメッセージが綴られていた。
 
M屋からのメッセージ
いわき市の皆様、いわき市に避難をされておられる皆様へ。 

このような時だからこそ、
お互いを思いやり、
相互に助けあいながら、
踏ん張ってまいりましょう。
無理をして踏ん張る必要もございません。
助けが必要な時は、お近くの方に助けを求めましょう。

(つづく→ http://moritakaya.jp/) 
 
店に入ると懐かしい顔が迎えてくれた。1階店舗は所狭しと支援物資が積み上げられ、スタッフが忙しそうに対応に追われていた。「気を付けてね」と足元を懐中電灯で照らしながら彼が私を上の階に案内してくれた。1階以外は電気が付いていなく真っ暗だった。電気だけでなく水道も使えないらしくトイレは駅ビルまで行くという。つまり彼もまた被災者だった。
 
地震、津波、原発、風評という4重苦に喘ぐ“いわき”、震災後2ヶ月が過ぎても街に人影は少ない。建物被害を受けてない商店でも、売り上げが激減して瀕死の状態という。ましてや被災を受けた商店では2重3重の痛手のはず、その中でもこの店は被災者支援活動をしている。
(ぜひ見て下さい→ http://www.rakuten.ne.jp/gold/moritakaya/
 
 
震災直後に東京から帰省し、店の手伝いをしながら支援活動をしているという息子さんを紹介された。ツイッター、ホームページで“いわき”の情報を流しているのは彼だった。「なにかしなくてはいけない、ただ待っていただけではだめだ」そんな気持ちから支援活動は始まった。物資提供だけでなく、被災者の生の声(下記)をネットで毎日流し続けいている。
 
「福島県いわき市の震災後の記録。震災者の声。これがいわき市の現状」
20110511 永崎 502202名。自宅は津波で大規模半壊。避難先を転々としたが、今は半壊した自宅の2階部分で生活している。避難所に入った人は支援うけられたのに、自宅は何もしてもらえない。 20110511 楢葉町 80270代。平城東に避難している。原発事故の為。下着、ズボン、パジャマが欲しい。
20110511 岩間町 70605040102名。佐糠町に避難している。津波で家が全壊。ローンが残っていた。車も壊れてしまったので移動するのに苦労しています。家の片付けをしたいので長靴が助かります。 (続く→http://moritakaya.jp/category/sinsai/text/) 
 話の中で彼ら親子が発した言葉「このままでは福島が、いわきが、風化してしまう」は印象的だった。 震災の復旧は始まったばかり、復興は始まっていません。原発事故による風評被害は拡大しています。風化させてはいけません。

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