中国から留学生として日本に来てすでに10年。今ではすっかり日本事情にも詳しく、後輩達の面倒も見ている金さんだが、当初は分らないことばかりで大変であった。
「ちょっと待って!これ、私一人で決められないから」と、ご主人に相談に行ったきり戻って来ない、近所で仲良し美容師のAさん。戻って来たAさん「金さんは大丈夫だと思うから今回は判押すけど、日本では親子といえどもおいそれとは保証人にはならないのよ。金さんが家賃支払えなくなると、私達が代わりに払う事になるのだから」と。
保証人はただ書類に名前と三文判を押すだけと安易に考えてお願いした金さんだったが、この言葉で保証人の持つ意味や重要性、そしてそれをお願いすることの重大さを実感。金さんはこれまでは学校で全てやってもらっていたため、保証人探しの難しさを知ることはなかったのだ。
少子高齢化の今、日本人にとっても身内で保証人を立てるのが難しい状況になりつつある。ましてや異国に来ている外国人にとって、日本人の保証人を探すのは至難の業であろう。困っている教え子留学生のため、300人以上の保証人になったという驚くべき大学教授もいる。「今まで、何もトラブルなんてなかったよ」と言うが、精神的負担は相当なものだろう。そろそろ個人の善意に頼り、甘えるのではなく、“仕組み”なり“制度”として何か良い方策を考えなければならないのではないか。
ところで、諸外国でアパートを借りる際、保証人は必要なのだろうか。大概の国では保証人を必要とせず、“保証人必要”とするフランスでも“所得証明”や“銀行の預金残高証明”で代用できるらしい。またアメリカは一般的には“保証人不要”であるが、支払い能力を証明できない場合、それを補うために“保証人必要”となる。
最近、このような事情を反映してか個人保証の代替として機関保証(保証会社に費用を支払って保証人になってもらう)の仕組みが普及し始めている。保証人を見つけにくい外国人などにはありがたい仕組みの商品である。しかしながら、もちろんこれには費用がかかり、物価の安い国から来ている外国人にとってはけっこうな負担だ。
外国では“保証人不要”が、なぜ日本では“保証人絶対必要”になのか、時代の流れを見据えながら、この辺の検証をしてみることも必要なのかもしれない。